第297回 登山会

目的地 久住(坊ヶツル)

日 時 平成14年8月17日(土)18日(日)

天 気 晴れ

参加者
   会 員 6名 明石、棚町、有福、植田、田村、中垣
   会員外 4名 倉冨御令室、御令嬢、御子息、嶋田

目的地までの交通手段 自家用車

登山コース
 -17日-
  (A) 沢水キャンプ場→くたみ分かれ→鍋割坂→佐渡窪→鉾立峠
         →あせび小屋
   (*オプション1) 鉾立峠→立中山(1464.4m)→鉾立峠
  (B) 暮雨滝→あせび小屋
 -18日-
   (*オプション2) あせび小屋→大船山(1786.2m)→あせび小屋
  (C)あせび小屋→暮雨滝
  (D)あせび小屋→鉾立峠→佐渡窪→鍋割坂→くたみ分かれ
       →沢水キャンプ場

装 備 水筒、食料、着替え

費 用 食料費、ガソリン代、高速道路通行料金、あせび小屋利用料



           ・・報告と感想・・          (田村記)

 今回は「あせび小屋に泊まって、満天の星の下、美味しい焼肉、冷えたビー
ルを片手に歌を唄い、人の世の生き様を談じ、久々の開放感に浸りたい」とい
う 宣伝文句に乗せられて、心と体をリフレッシュしようと思い参加した。昨
年もあせび小屋の企画で二泊したとき、とても心地よい時間を過ごすことがで
きたからだ。
 実は、多忙のために疲労困憊し風邪を引いてしまったので、遠慮しようかと
思っていたのだが、暑い中、家でごろごろしているよりも涼しい中でぐっすり
眠る方が風邪も治りが早いかもと思い参加を決心した。朝6時大学出発の予定
が8時に変更になり助かった。朝8時、正門前で出発準備をしていると、中垣
氏から「今出発したところだ。先に行って準備しておく」と電話が入る。中垣
氏は、暮雨の滝コースから入ることになっている。有福・植田組は2時間ほど
遅れて出発し、長者原から雨ヶ池コースで来ることになっている。私たちは田
村号と倉冨号の2台に分散して8時20分出発。田村号は途中の高速バス停で棚町
氏を乗せて現地へ向かった。バス停が鳥栖の分岐を過ぎてすぐなので危うく通
り過ぎてしまうとことろだった。中垣氏や倉冨ファミリーが通りかかったとき
に手を振ってくれたとのこと。
 三愛レストハウス近くでだご汁を食べ、沢水キャンプ場へ。かなり上の方ま
で車道が延び、登山口のすぐそばに立派な駐車場があった。以前はそこを20分
近く歩いて疲れたとのこと。登山口を11時30分出発。小生は、風邪引きという
理由で分担する食料も少なめにしてもらった。棚町氏のリュックがかなり犠牲
になってしまったが、彼はそのくらいでないと物足りないだろうからこれでよ
いのだと勝手に解釈する。倉冨家のご子息(ヒロ君)とご令嬢(ユカさん)は
二人とも背が高くスタイルがよい。ヒロ君は故倉冨氏そっくりの雰囲気なので
びっくりした。声も歩き方もどこをとってもよく似ている。
 最初のうちは、なだらかだが、低山の自然歩道を歩いているような雰囲気で
、妙にアップダウンが多い。小生は、風邪薬が効いているせいか全然疲れを感
じず、ペースを落とすとかえって疲れそうだったので、ペースを速めて先を急
ぐことにした。先頭の嶋田氏も追い越して、一人どんどん先に進んだ。佐渡窪
から鉾立峠への登りは日も照ってきてつらかったが、そこを過ぎれば法華院ま
で下るだけだし、早くあせび小屋に着いてのんびりしたいと言う思いで歩くペ
ースは まったく衰えなかった。荷物を軽くしてもらって先を急いでは申し訳
ない気持ちもあったが、途中で休むとどっと疲れが出てしまうのではという不
安もあったのだ。
 とにかく鉾立峠までは予定時間よりかなり早く到達した。ここから小生が遭
難未遂事件を起こすことになろうとは思いもしなかった。

ここまで急いできたのにはもう一つ理由があって、風邪のせいかどうかわから
ないが、腹が張ってガス抜きもままならず、トイレに行けばすっとするだろう
にという思いがあって早く着きたかったのだ。

 鉾立峠から、法華院やあせび小屋が見えたので、広くなった所を左の方に沿
って降りていった。ところが、行き止まりになってしまった。近くに道がない
か探したが無理だと判断し、来た道を戻ることにした。その前に迷ったついで
に腹の張りを楽にしようと、藪に隠れて用足しをした。そのときかすかに仲間
の声がしたような気がしたが、こちらは用足し中なので、声を出すこともでき
なかった。さて、気を取り直して、鉾立峠まで戻った。「こんなに降りてきた
っけ?」と思うほど登りはきつかった。今度は大きなケルンがあったので、「
なんだ、ここから降りたらいいんじゃん。これで安心だ」とルンルン気分で降
りていった。ところが、またまた行き止まり。「なんでこうなるの?ちゃんと
ケルンの所を降りたのに」と少し腹を立てたり落ち着けと言い聞かせたりしな
がら、腰を下ろしてとりあえず水分補給。また峠まで登るのかと思うとどっと
疲れが吹き出した。とにかく戻れば何とかなると気を取り直して、再度登るの
だが、日が照ってきて疲れは増すばかり。きちんと峠に戻ればよいものを、多
分途中で正しい道に合流するところがあるはずだと、あっちへ行ったりこっち
へ行ったりを繰り返したせいで、峠にも戻れなくなってしまった。きつねにつ
ままれた気分だった。こういうときにおっちょこちょいの性格がもろに出てし
まうのだろう。体力消耗をしないようにと腰を下ろして落ち着かせようとした
が、焦るばかり。もう後続隊はあせび小屋へ着いているのだろうか。それなら
ここから呼んでみれば気づいてもらえるかもしれないと、あせび小屋の方を向
いて「お〜い」と繰り返し叫んでみた。しばらくすると「お〜い」と応える声
がした。明石氏の声だ。ずいぶん遠くから聞こえるなと思っていると急に近づ
いてきた。「お〜い。迷った〜」と叫ぶと、すぐ横から声がする。ちょっと登
ってみると小さな茂みの向こうに明石氏がストックを上げているのが見えた。
たった5メートル位離れた道でうろうろしていたのだった。茂みをかき分けて
正しい道へ出たときは、明石氏が観音様に見えた。倉冨夫人とユカさんも一緒
だった。聞くと、棚町氏とヒロ君が立中山に登るというので、ここで待ってい
ることにしたという。 小生の「お〜い」は悲壮感に満ちていたそうだ。正し
い道は右側に沿っていかなければならなかった。ちゃんとそこには標識が立っ
ていた。こんなところで遭難しかけるなんてまるで子供みたいだと、穴があっ
たら入りたい気分だった。40〜50分もうろうろしていた計算になる。
 あとで作った一句。「鉾立の 迷い子救う 友の声」

 14時20分にあせび小屋到着。嶋田氏が心配していた。有福・植田組もほぼ同
時に到着する。まずは法華院へお風呂に、それから、待ちに待ったビールとバ
ーベキューが始まった。昨年に負けないくらい豪華な内容で、皆楽しそうに時
を過ごす。あせび小屋で二次会が始まる。他の泊まり客もいたが、10時過ぎ 
まで、談笑と山の歌の合唱が 続く。ヒロ君のおちついてじっくりと飲む姿が
これまた父親そっくりだった。お開きになって寝ようとすると、棚町氏定番の
「青年諸君!」のパフォーマンスが始まった。それを楽しんでいるうちに眠り
についた。この夜は流れ星がたくさん見えたそうだ。見たかったなあ。

 翌日は7時起床。有福氏とヒロ君は大船山へ登るために先に出て行く。二人
ともあせび小屋からの大船山は初めてという。迷うところはないですから大丈
夫ですよと言っている自分がおかしかった。
 二人を見送り、ゆっくりと、和洋いろいろ取り揃え、ミニバイキングのよう
な朝食をとったあと、思い思いに時を過ごしていると、二人は、予定より早く
戻ってきた。
 植田氏が倉冨氏の車を運転することになり、小生と二人が先に昼食をとり、
12時20 分、沢水の方へ先に出発した。前日迷った地点を現場検証すると、ち
ゃんと右寄りに標識があり、落ち着いて広い道のどちら側をたどるべきか見渡
してから下り始めればなんて事はないところだった。14時50分、車に乗り込も
うとしたとき、1時間遅れで暮雨の滝方向へ下山した後発隊から下山したとの
電話が入った。ここから、お互いに長者原へ向かい落ち合うことになった。 
落ち合ったあとは、「山里の湯」で疲れを落とし、一息入れてから、それぞれ
帰路に着いた。

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