ひとりごと
―中野和典、日々の雑感―


  ソウル紀行

 この夏、ソウルへ二泊三日のひとり旅に出た。
 日ごろからいろいろなところへ出張しているが(まさに数え切れないほどのビジネスホテルに泊まった!)、これまで海外へひとり旅に出かけたことはなかった。しかし、一年間の在外研究でソウル大学へ行っておられるN先生が、この秋に帰国されるということで、その前に訪ねてみようとふと思い立ったのである。この機会を逃せば、なかなか韓国へ出かけることもないだろうという思いに駆られたのだった。
 訪ねていったとは言っても、お忙しいN先生にあまり時間を割いていただくのも心苦しかったので、ご一緒願ったのは初日の夕食と、二日目の昼食から夕方まで(本当にありがとうございました)。他の時間は一人で方々を歩いてまわった。ガイド本を片手に、あとはカムサハムニダ(ありがとうございます)とイゴスルチョセヨ(これをください)で乗り切ろうという気ままな旅である。
 「ひとり旅は、自然へ分け入ればさびしくないが、都会へ行けばさびしいものだ」と、かつてある旅行好きの先輩からうかがったことがあった。海外の都市へ行くと、その思いもひとしおである。ほとんどイゴスルチョセヨしか話せないぼくは、ソウルでは圧倒的な少数派である(もちろん日本人観光客は多く見かけたが)。地下鉄に揺られるたびに、見知らぬ路地の角を曲がるたびに、ハングルの標識とガイド本の地図を見くらべるたびに、ぼくは自分が世界から厳しく切り取られていることを実感せずにはいられなかった。そして、案の定……よく道に迷った。「よく」というよりほとんど迷いっぱなしであった。明洞(ミョンドン)でも迷った。鍾路区(チョンノグ)でも迷った。乙支路(ウルチロ)地下歩道でも迷った。とにかくどこへ出かけても、迷いに迷った。自分がどれくらい歩いたのか、万歩計で確かめたいくらいであった。恥ずかしい話だが、ぼくはソウルでの滞在時間の多くを、道に迷いながら過ごしたのである。
 その結果、いわゆるソウルの名所を効率よく見て回ることはできなかったのだが、その代わりにぼくとしては心惹かれる光景にいくつも出会うことができた。ぼくが目にした光景の一部は「写真」のページにアップロードしているので、そちらをご覧いただければ幸いである。どういうわけか、ぼくは整然とした瀟洒(しょうしゃ)なビル街よりも、雑然とした生活感あふれる路地の方に目を奪われる。なぜだろう。その雑然とした光景が、そこに生きる人々の営みを伝え、ある質感をともなった「時間」を感じさせるからかもしれない。急成長した都市であるからか、ソウルには昔ながらの街並みと新しい街並みが混在しており、その両方が一度に目に飛び込んでくることがしばしばあった。そして、そのコントラストは「時間」をより鮮やかなものにしていた。

   *

 いわゆるソウルの名所でも印象深い光景に出会うことができた。ひとつは二日目の午後、N先生に案内していただいたソウル大学図書館で出会った光景。韓国を代表する大学図書館であるだけあって、膨大な蔵書を誇る、見上げるほど巨大な図書館である。ここで日本文学関連の資料を見せてもらった。単行本のほか、日本の学会誌、大学紀要、商業誌の最新号もところせましと並んでいた。圧巻である。N先生が日ごろ調査しておられるという1900年代初期に韓国で発行されていた雑誌も見せていただいた。こちらは日本語の活字とハングルの活字が混在している。その誌面に韓国併合という出来事の痕跡をまざまざと見る思いであった。
 もうひとつはソウル歴史博物館で出会った光景。そこには先史時代から現代にいたるまでの多くの品々が展示されていたのだが、「日帝強占期」の展示に鉄格子が張られていたことが印象的であった。鉄格子は展示物を保護するすべてのガラスの前一面に張られていた。これは「韓国併合以降われわれは日本人によって囚われていた」というメッセージを強調するための装置なのであろう。その一角だけが照明も暗く、鉄格子越しの展示になっているので中の品々は見づらかったのだが、ぼくが受けた衝撃は大きかった。
 そして、景福宮。朝鮮王朝の王宮であるが、かつてはその敷地内に朝鮮総督府の庁舎が建てられていた場所でもある。現在はその庁舎は完全に撤去され、逆に撤去されていた王朝期の建物が復元されてにぎやかな観光地になっている。まさに大きな歴史の結節点と言える場所である。色鮮やかな建物の数々はどれも見ごたえがあったが、特に大きな池の中に浮かぶ慶会楼の美しさには胸打たれた。炎天下であったが、それも忘れてしばらく見入ってしまった。なぜ、あれほど自分が慶会楼に惹きつけられたのか、今のところよくわからない。

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 旅のよいところは、出かけたときに発見があるのはもちろん、帰ったときにも発見があるということである。ぼくは旅の出発点である福岡へ帰ったとき、ちょっとした違和感を覚えた。蝉の声が違う、風の感触が違う、街の表情が違う。たった二泊三日の短い旅であったが、ソウルでの体験はぼくの自動化された感覚に確実に一撃を与えてくれたようである。道に迷って方々を歩き回ったせいかもしれない。そこで目にしたものと、目にしなかったものと……。これはぼくがソウルへ出かけながら数々の名所を見そこねたことへの負け惜しみに過ぎないのかもしれないが、直接目にしなかったものについて、自分が何も見なかったとは思いたくない。すべてのものごとはつながっているはずなのだから。学びつづけていれば、いつかぼくがこの旅で目にしたものと、目にしなかったものとのつながりが見えてくるのだと信じて生きていきたい。さらには、それらのものとぼく自身とのつながりまでも―。
 本を読むことは大切だが、本だけ読んでいてもしかたがないのだということを改めて痛感するこのごろである。(2012年10月5日(金))


 「ひとり」ということ

 ひとりごとをつぶやいている場合ではない。講義の準備は終わらず、論文の準備もはかどっていない……のだけれど、ふらりと雑感。

   *

 「ひとり」ということについて、よく考えをめぐらせている。ひとりでいる時間が長くなっているせいだろう。
 思い返せば、まだ19のとき、ぼくが惹きつけられたのは次のような言葉だった。

 独 り 

 地上には
 大小の道がたくさん通じている
 しかし、みな
 目ざすところは同じだ。

 馬で行くことも、車で行くことも
 ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。
 だが、最後の一歩は
 自分ひとりで歩かねばならない。

 だから、どんなつらいことでも
 ひとりでするということにまさる
 知恵もなければ、
 能力もない。

 たまたま古本屋で買った『ヘッセ詩集』(高橋健二訳、新潮社、1950・12)を読んでいて出会った言葉だ。この詩については、ちょっとした思い出がある。ひとつはこの上なく恥ずかしかった思い出。19のとき、とある学生寮に入っていたぼくが、感傷にひたって自室をうろうろ歩き回りながらこの詩を口ずさんでいたら、後日、隣室の先輩Uさんから
「最近、中野君の部屋から何かぶつぶつ言っているのが聞こえて来るんだけど、何やってるの?」
と尋ねられた。……壁が薄かったのだ。まさか隣に聞こえているとは思わなんだ。あまりの恥ずかしさに本当のことが言えず、
「ちょっと、覚えなきゃいけないことがあって……すみません」
とごまかすことしかできなかった。
 Uさんは、ぼくが
「今夜はどうも恐い話が聞きたい気分です」
と言うと、わざわざ部屋の明かりを電気スタンドだけにし、正座してとっておきの怪談を披露してくれるような、とても親切な人だった。あのときの話は本当に恐かった……。黒ずくめの三人の男の話。あわわわわ。今どこでなにをされているのか存じ上げないが、ときどき正座したUさんの姿を思い出す。
 もうひとつの思い出は、しみじみと共感したもの。20くらいのとき、なぜかクラシック・ギターのサークルに入っていたぼくは、ある日、部室の掃除をしていた。そういうときには、もはや見当もつかないくらいはるか昔の部誌(サークルの連絡や部員の雑感を書き綴ったノート)が出てきたりするものである。そのときも普段開くことのない戸棚の隅から、紙もインクも変色してしまった数冊の部誌が出てきた。
 掃除に飽きていたぼくたちがページをぱらぱらとめくっていると、先輩のひとりが
「中野、これを見ろ。すごいぞ」
と一冊の部誌を差し出した。見ると「地上には/大小の道がたくさん通じている……」という詩の全文が、整った字で見開き一杯に書かれている。
「昔の人は、文章力がすごかったんだなぁ」
「いや、これはヘッセの詩を書き写したものですよ」
「なんだ、そうなの……これ書いた人が作ったのかと思った」
と先輩は少しがっかりしていたけれど、ぼくは、勝手ながらこの詩を書き写した「大先輩」の心境を推し量り、妙に共感したのだった。この詩を書き写した「大先輩」とは面識もないし、もちろん今どこでなにをされているのかも知らない。でも、いつかその「大先輩」に会いに行って、この詩について熱く語り合いながら一緒にお酒が飲めたらどんなに愉快だろうと、ときどき夢想したりする。

   *

 「ひとり」と言えば、ぼくが20のときに惹きつけられたのは次のような言葉だった。

「孤独が好きなの?」と彼女は頬杖をついて言った。「一人で旅行して、一人でごはん食べて、授業のときはひとりだけぽつんと離れて座っているのが好きなの?」
「孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの」と僕は言った。

ご存知、村上春樹『ノルウェイの森』の一節である。この言葉がぼくに響いたのは、これに少しだけ似た体験があったからだった。もちろんこんなに気の利いたやりとりはまったくなかったのだが。
 大学に入ったばかりの頃、ぼくは、大学の講義を常に最前列の席で受けるという、今となってはよく理解できないこだわりをもっていた。同じ学費なら、一番前で受けた方が得だ、という貧乏根性が働いていたのかもしれない。数百人収容できる大講義室でも最前列に座っていたものだから、当然ぼくのまわりは空席になるという「ドーナツ化現象」が起こるのが常であった。一度、ぼくが履修した美術史の講義で、担当の先生が最前列に座ったぼくを通過して、ぼくの背後から、より後ろに座っている受講者たちに講義をするという、実にひどい仕打ち(とぼくは思うのだが)を受けたこともあった。もちろんその講義には二度と出なかった。ぼくは本当にさみしい新入生だったのだ。
 しかし、そんなある日、同じサークルの女の子から
「どうして、いつも一人で一番前に座っているの?」
と不意に尋ねられた。なぜ意地を張って最前列に座り続けているのか、自分でもよくわからなかったぼくは、字がよく見えるからとか、何となく始まった習慣だとか、座ってみたら分かるから今度座ってみるといいとか、そんな答えを返した。
 すると後日、いつものように大講義室の最前列に座っていたら
「来たよ」
と、その子が現れ、笑いながらぼくの隣に腰掛けるではないか。周囲の視線をひしひしと感じながら(実際は誰もぼくたちに注意を払っていなかったに違いないけれど)、巨大な「ドーナツ」の中心にぽつんと並んで腰掛けるぼくたち。自分で言うのもなんだけれど、これはなかなかほほえましい光景である(少なくとも今のぼくにはそう思われる)。
 ところが、その後がまずかった。突然のことに舞い上がってしまったぼくは、せっかく隣に来てくれたのに、一言あいさつをしたまま、読みかけの文庫本から目を上げることができなかったのだ。そのとき意地になって読んでいたのは、忘れもしない、大学図書館で借りた『アンナ・カレーニナ』だった。やたらと長くて登場人物も多い、あのトルストイの小説だ。もともと意地になって読んでいたものを、そのときには特に意地になって読んでしまった。ばかばか。われながらまったくなさけない対応だった。
 「ドーナツ」の中心で二言目を交わすことなく、ぼくたちは講義を受け、そのまま別れた。その後、彼女が最前列のぼくの隣に腰掛けることはなく、また、ぼくも最前列に座る習慣をいつしかなくしてしまった。後年〈孤独が好きな人間なんていないさ〉という『ノルウェイの森』の言葉に出会ったとき、「そうだよなぁ」としみじみ感じ入りながら、自分の幼さをにがにがしく思ったものである。

   *

 「ひとり」ということは、多くのことを気づかせてくれる。例えば、アンネ・フランクは『アンネの日記』(深町眞理子訳、文藝春秋、2003・4)の冒頭部分で、なぜ自分が日記を書くのか、ということについて次のように語っている。

 というわけで、いよいよ問題の核心、わたしがなぜ日記をつけはじめるかという理由についてですけど、それはつまり、そういうほんとうのお友達がわたしにはいないからなんです。
 もっとはっきり言いましょう。十三歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちのように感じている、いや、事実、ひとりぼっちなんだと言っても、信じてくれるひとはいないでしょうから。わたしには、愛する両親と、十六歳のお姉さんがいます。友達と呼べるひとを三十人ぐらいは知っています。ボーイフレンドもぞろぞろいます。みんななんとかしてわたしの目をひこうとして、それがうまくいかないと、教室の鏡でこっそりこちらを見るくらいです。たくさんの親戚や、やさしいおばさんたちもいますし、りっぱな家もあります。そう、なにひとつ欠けてるものなんかなさそうです。ただひとつ、その〝ほんとうの〟お友達を除いては。

日記に限らず、人が自分について何かを書こうとするのは、その人が「ひとり」であることを感じるからなのかもしれない。長きにわたる潜伏生活の果てに強制収容所に連行されて、たった15年間の人生を終えたアンネ・フランクの言葉には、「ひとり」ということと「書く」こととの緊張関係についての深い洞察が感じられる。
 「書く」ことだけではない、人は「ひとり」であることを感じるからこそ「読む」のかもしれない。太宰治は「人間失格」と同時期に書いた批評「如是我聞」(「新潮」1948・7)の末尾で次のように語っている。

 本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。

どきりとさせられる言葉である。人は「ひとり」であるがゆえに、書き、読む、ということになろうか。はなはだ意味深長である。
 しかし、文章にも良し悪しがあるように、「ひとり」ということにも良し悪しがあるようでもある。ことさら「ひとり」と語るまでもなく、そもそも誰だって「ひとり」じゃないか。だから、孤高は傲慢(ごうまん)に陥りやすい。自分を憐れんで「ひとり」であることをもてあそんではいけない。
 では、ぼくは、なぜ、いま、こうしてせっせとひとりごとを書いているのか、これは「ひとり」であることをもてあそんでいることにはならないのか、と、もし誰かに問われたら、ぼくは答えに窮するかもしれない。それでも、書きたいときに、書きたいことを、これからここに書いていこうと思う。(2012年9月21日(金))