この四季録の連載の最後は檀一雄にしたいと思っていました。若い人たちには,女優檀ふみのお父さんといった方がよくわかるかもしれません。檀一雄の小説は大学時代によく読んだのですが,強い印象を受けたことを憶えています。小説ですから恋愛が描かれるのですが,単なる恋愛ものではないという気がしました。それが何かは大学時代にはよくわからなかったのですが,最近読み返して感じたことを皆さんにご紹介したいと思います。
そもそも檀一雄が作家になるのに重要な時期となったのは,福岡高校時代に一年間の停学処分を受けたことのようです。東大時代には文学者と知り合いますが,とりわけ太宰治との交友が檀の生涯を決定していきます。檀は太宰の中に天才を感じ,自分の中にそれがないことに焦りを感じます。太宰は檀の文学上の先輩でもありライバルでもあったのです。
檀は学生時代から小説を書いていたのですが,東大卒業後に満州の友人宅を渡り歩きます。幼少の頃から各地を転々としたせいか,太宰に匹敵する小説を書けないせいか,檀には放浪癖があったのです。満州から帰ると結婚し長男も誕生しますが,今度は中国戦線へと旅立ってしまいます。
この間に妻が腸結核にかかり,戦中戦後の福岡での看病も空しく妻は死を迎えます。その後,このときの経験をつづった『リツ子・その愛』『リツ子・その死』が発表され,檀は東京での作家生活に入っていきます。前後して,再婚し博多で闇商売を始めています。戦後の闇商売は失敗し,もはや小説一本で食べていかなければならない状態になります。頼まれれば何でも書く作家になったのです。
こうして純文学に贈られる芥川賞ではなくて,大衆小説の直木賞を受賞することになります。これは太宰治をライバルとし,純文学を志した檀一雄にとって意外なことだったようです。その一方で,新聞小説などの依頼が殺到し,流行作家になっていきます。しかし,これは檀が目指したことではなかったのです。