檀一雄は直木賞を受賞し流行作家になったのですが,家庭では不幸が続きます。

まず,次男が日本脳炎にかかり,その後遺症が残ることになったのです。つぎに,博多時代から知り合いだった女性と愛人関係になります。それも,畏友太宰治の文学碑の除幕式直後に,事を起こしたのです。檀一雄は代表作である『火宅の人』のモデルとなったのです。

檀は妻にたいして家内であることと同時に恋人であることを求めたといいます。自分の世話をしてくれるとともに恋愛の要素を妻に探すのです。無い物ねだりのようで,檀の妻はこれができなかったといいます。妻によると博多弁に「アセガル」という方言があるそうです。字を当てると「焦がる」となるそうですが,『火宅の人』は檀の焦がる魂の物語といえるようです。恋愛が中心のようですが,その奥にある檀の魂を描こうとしているのです。そのせいか,『火宅の人』は非常に骨太の文学になっているように感じます。『火宅の人』を書いている時期に,檀は自ら流行作家の地位を降り,この執筆に没頭していたといいます。ライバルであった太宰治に少しでも近づこうとしていたのでしょうか。

その後,愛人とは山の上ホテル,浅草の部屋,目白のアパート,麹町を転々とします。この間に,長男の窃盗事件という問題も起こっています。愛人とうまくいかなくなったせいか,欧米旅行に出かけます。例の放浪癖です。帰国後,愛人の度重なる中絶が原因で別れることになります。それから,師佐藤春夫の死と,日本脳炎の後遺症が残る次男の死に直面します。この頃から,体の衰えを自覚するようになります。

しかし,放浪癖は檀をポルトガルまで誘います。途中で檀の体調を心配した妻がポルトガルまで面倒を見に行っています。帰国後,博多湾に浮かぶ能古島へ夫婦で移り,そこで末期の肺ガンが発見されます。入院中に『火宅の人』最終章の口述筆記をして,ようやく念願の力作を完成させたのです。太宰治が生きていたら,檀一雄に何と言葉を掛けたのでしょうか。