めっきり本を読まなくなった。学生さんのことではない。私自身のことである。仕事関係のものは読むが,趣味・教養・自己研鑽のものが極端に少なくなっている。
以前は,といっても学生時代のことであるが,とにかく読んだという記憶がある。小学生のときからよく分からぬまま家にあった日本と世界の文学集にあらかた目を通していた。幼児期に母親から寝る前に本を読んでもらっていたのが影響したのだろうか。
中学生になると,夏目漱石や武者小路実篤を恋愛ものとして読んだ。これは思春期特有の読み方だろう。友達と何を読んだと競うのもこの時期の特徴かもしれない。
高校時代はラグビーに明け暮れたが,大学に入るとまた読み始めた。井上靖が母校に入学したこともあり,氏の自伝的なものを選んだ。小学生のときに読んだ『しろばんば』が頭に残っていたのかもしれない。郷土出身の檀一雄のやはり自伝的なものを選んだのも,職業として作家に憧れていたからだろうか。
仕事のための読書に近づいていったのは,大学時代も後半に入ってからだった。
経済小説というジャンルを切り開いた城山三郎にのめり込んだのは,氏が描く純粋な経済学の裏側にある現実の人間像に惹きつけられたからであろう。当時,経済学を生業にするつもりであったのか,城山氏自身が経済学者としてスタートしていることにも興味を持った気がする。
生物学,とくに進化論を乱読したのも,これからの経済学の発展に関係があると思ったからである。こうなると仕事のための読書とほとんど区別がつかなくなっている。
アメリカの文化・社会を知ろうと司馬遼太郎,藤原正彦,桐島洋子のアメリカ関連ものを読んだのも,留学を考えていたからだった。
とはいえ,松山に赴任してからも数年間は本屋巡りの道順を持っており,楽しみの一つであった。新刊と古本屋が適度にあり,気分転換には最適であった。最近,この時間を取れなくなったことが残念である。