道後公園が綺麗になっている。以前からあった桜にくわえてツツジなどの植込みが新しくなり,日本庭園のようである。桜はそろそろ終りに近づいているが,これからは緑が濃くなっていくだろう。目を池に転ずると,道後ゆかりの白鷺がたたずみ,鯉がのんびりと泳ぎ,亀が日向ぼっこをしている。

公園内には,真新しい幾つかの滑り台,ブランコなどの遊具がある。どこから運んできた砂だろうか,真っ白な砂場もある。小学生がそれこそ遊園地に来たように夢中で遊んでいる。母親に連れられた幼児もいる。休日には,母親だけでなく父親や,孫を遊ばせに来られる方もいる。フルムーンらしい夫婦が散歩に来られている姿も目に付く。

道後公園の改装計画は以前からあり,十年がかりの工事だと聞いている。道後は松山の顔であり,綺麗になったことを喜ばれている方々も大勢いるだろう。何よりも子供たちの遊んでいる顔は心を和ませてくれる。

子供たちの集う道後公園は,ご存知のように湯築城の史跡でもある。南側の旧動物園区域に,中世伊予の国守護大名河野氏の居城があったのである。

河野氏は源平の争乱期にいち早く源氏側についたことで知られる。壇ノ浦の合戦での河野水軍の活躍は有名であるが,それまでは平家優勢の瀬戸内海で河野氏は辛酸をなめたらしい。源氏の世となってからも承久の変で後鳥羽上皇につき,河野氏は一時没落している。蒙古来襲のときの戦功によって河野氏は伊予における勢力を回復し,南北朝争乱の狭間に湯築城が建設されたのである。無心に遊ぶ子供たちも,将来こうした郷土の歴史を知るのだろう。

当初の湯築城は,道後平野を抑える軍事拠点として重要であった。政情の比較的安定した室町時代に,河野氏と家臣団の住居をも堀で囲った中世には珍しい二重掘の平山城に拡張されている。遺跡の保存状況は極めて良好らしく,武家屋敷が復元され出土品が展示されるのが楽しみである。子供たちはそこから何を学ぶのだろうか。