九州大学の経済学部を卒業して今年で20年になります。両親も福岡に健在なので,よく帰ってきております。現在,大学の教員として様々な国際交流に関係しておりますので,そのことを紹介しつつ,九大の想い出を振り返りたいと思います。
昨年,アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント市の高校生を自宅に1週間ホームステイの受け入れをしました。これはサクラメント市が現在,私の住んでいる松山市の姉妹都市なので実現しました。同じく昨年,姉妹都市ドイツ,バーデン=ヴュルテンベルク州フライブルク市の高校生も短期間ホームステイに来ました。また,一昨年アメリカのフルブライト・プログラムでネブラスカ州の小学校の教諭が松山を訪れたときも自宅に泊まってもらいました。これらは私の英会話力を維持するためもありますが,小学生と幼稚園の子どもがいるので留学生たちの緊張がほぐれ好評のようです。
赴任した松山大学からは2005年と06年の夏に学生を引率して韓国に行ってまいりました。これは提携校のソウルにある建国大学校を基地に韓国企業サムソンや韓国に進出した日本企業等を視察するプログラムです。調度よい機会なので,軍事境界線にある板門店,戦争記念館,景福宮にも足を運びました。今更ながら,韓国文化が日本に影響を与え,かつ韓国が日本以上にアメリカナイズされていることを実感してきました。
また,本学には中国から来た多数の大学院生が学んでおります。こうした若い留学生たちと接していると,私たちの世代の留学生との意識の違いに驚くこともよくあります。こうした私の国際交流の原点はやはり母校の九州大学にあると思います。1990年頃,九大の中国,韓国,台湾からの留学生は確かその立地のせいか東大に次いで2番目だったと記憶しております。彼ら留学生たちとの大学院研究室や食事時の会話は今でも記憶に残っているものもあります。こうした国際交流の状況は現在どのようになっているのでしょうか。
さらに私の国際交流を遡ると,最初の海外体験は小学校卒業時の1978年に当時,父の赴任していた台湾,台北に旅行したことになります。つぎは,高校生の1982年のアメリカ,テキサス州でのホームステイになります。このときのホストファミリーとは現在も往来があります。その後,高校・大学時代のラグビー部をへて,大学院でアメリカ金融研究を始めたのは,恩師の深町郁彌先生の薦めによるものです。ただ,アメリカ研究をしたいという漠然とした想いは高校のホームステイ経験からあったようです。その後1999年からアメリカのノートルダム大学とマサチューセッツ大学アマースト校で1年間研究員として学ぶことができました。そのときのアメリカの友人も2006年に夫婦で自宅を訪ねてくれました。また,留学後にはほぼ毎年正月にアメリカ経済学会に参加するようになりました。この正月もニューオーリンズで開催され,ハリケーン・カトリーナから立ち直った街を視てくることができました。金融研究者としてはイギリス,ロンドンのシティにも行ってみたいという想いもありますが,今のところはアメリカに集中しております。
少しくだけた話になりますが,2005年に家族旅行でハワイに行ったときに,当時幼稚園生の長男を英語学校に通わせました。これはご愛嬌でしょうが,今の小学生は学校で英語を学んでおりますので,最近は日本でも普通になっているのかもしれません。
今回は同窓会報に随筆をという話で私の九州大学時代を懐かしんでみました。取留めもない私の国際交流に,もし1本の筋が通っているとすれば,それは九州大学時代に賜った恩師や留学生との交流によるものではないかと思っております。