引き続き,アメリカにいたときの生活の一端をご紹介します。

やはり真冬のことですが,車のエンジンが掛からなくなり,修理に出したことがあります。ところが,修理の人の英語に癖があり,よく聞き取れません。それも電話で話しているので要領を得ません。「すぐ来る」といったことは聞き取れたので,待っていましたが一向に現れません。痺れを切らしてまた電話すると,「最初はすぐ来るといったが,後にすると言い直した」と怒り出します。修理はきちんとしてくれましたが,こんな調子でした。それからは,ホンダの販売店にメンテナンスをお願いすることにしましたが,こちらは丁寧で誤解が生じることもありませんでした。

アメリカでの生活にも徐々に慣れていきましたが,寂しさを感じるのは休暇中です。私も家族で渡米していましたが,休暇中には学生だけでなく教職員も故郷に帰ってしまいます。これを救ってくれたのは,私の高校時代のホストファミリーでした。

私が最初にいた大学はアメリカンフットボールの名門校で,学内に立派なスタジアムがありました。ホストファミリーの甥がこの大学の卒業生で,このスタジアムで試合があるときに私たちを呼んでくれたのです。私はアメリカンフットボールの試合はスタジアムの中で楽しむものと思っていました。ところが,試合中もたくさんの人が外の芝生でパーティーをしているのです。そのために,家族でキャンピングカーに乗って,料理や飲み物を満載にして来るのです。

ミシガンにある妻の友人宅へも車で出かけました。凍てつく寒さの頃でしたが,私たちを歓迎してくれました。クリスマスにはホストファミリーを訪ねてテキサスまで行きました。テキサスは冬も暖かいことが有難かったのですが,それ以上に異国での私たちの心を温めてくれたのはホストファミリーの心の籠ったもてなしでした。アメリカにはサザン・ホスピタリティ(南部特有のおもてなし)という言葉がありますが,まさにこれに触れた瞬間でした。