アメリカ生活もののも最後になりました。

正月に学会に出たことが縁で東部の大学に変わることになりました。また,一から住宅探しが始まりました。ところが今回は住宅の空きが少ない上に,私が夏の間しか滞在しないことから,住宅探しは大変でした。二つほど決まりかけた話は,先方から断られてしまいました。電子メールや電話をすると,「じゃあ,いつ部屋を見に来るか」という返事で直接訪問しない限り話にならない感じでした。

そこで,最終的に車で片道十三時間かけて探しにいくことになりました。ここは本当に小さな大学町で,このとき親切にしてくれた大家さん,学生さんと大学の方々との三日間の交流は非常に楽しいものでした。とくに,ある大家さんはホテルまで電話をくれて,どうしたら私が希望している住宅を見つけられるかをアドバイスしてくれました。当時の手帳をみると,大学の住宅課から電話で予約して,一日に三軒ほど訪問しています。

訪問した中で一番気に入った小さな家は,先約があったことと子供がいることで駄目になりました。結局,学生さんが五人で住んでいた一軒家を借りることになりました。家が古いことを除けば住宅環境はよく,郊外の生活を楽しむことができました。庭には芝生が広がり,大家さんが時々芝刈りに来ていました。向かいの家の奥さんが,私たちを夕食に呼んでくれるようなところでした。

夏休みの独立記念日には,ある有名な教授がバーベキューに招待してくれました。食事の後は,町中の人たちが花火を見に出かけていくというお祭りの日でした。夏休みにはパーティーをよくするのか,英語の先生のところでもバーベキューがあり,それこそ世界中から生徒が集まっていました。

楽しい生活はあっという間に過ぎ去り,車を売り払う時期になりました。売れるものは売り,残りは出来るだけ知人に譲りました。お世話になった先生やクラスメートが食事を一緒にしてくれましたが,名残惜しい気持ちはいつまでも続きました。