世紀転換期に一年間,アメリカにいたことがあります。中西部と東部の大学町に滞在し,どちらも都会とはいえない田舎町でした。
中西部の大学町はシカゴ近郊にあり,ミシガン湖周辺の工業都市のベッドタウンでもあります。この町は全米でも貧しい方に入り,ダウンタウンはやや寂れた印象を与えていました。
東部の大学町はマサチューセッツ州西部にあり,有名大学も複数あります。緑と自然に恵まれ,そもそもインディアンが住み,いまは退職した裕福な人々が集まる対照的な町です。
アメリカの都会と地方は日本と通じるところもありますが,かなり異なった側面もあります。よく青春映画のラストシーンで,主人公が地方の高校を卒業して東部の名門大学に旅立つ場面に出会います。地方の若年層が都会に出ていくのは日米共通のようです。
こうした若者は大学を転校したり,大学院に進学したりして,やはり都会に職を見つけます。アメリカでは転校が比較的自由で大学院進学率が高くなっていますが,就職時に都会を選ぶのは日本と同様です。
しかし,このまま都会とくにニューヨークのような大都市で働き続ける人は稀のようです。大都市では数年間から十数年間それこそ日本人顔負けに仕事付けの生活を送りますが,その後地方に行く人々がたくさんいます。この中には都会での競争から押し出された人もいますが,自発的に地方での生活を始める人も少なくありません。ここにアメリカ社会の強さを感じずにはいられません。
彼・彼女らの大都市での十年間は,アメリカの国際競争力に貢献します。アメリカ企業のトップの多くが四十代であるのはこうした背景もあります。さらに,地方での生活はアメリカ人に精神的なゆとりを持たせ,ちょうど子育ての時期に入った親世代は子供たちに最高の教育を与えます。こうして,アメリカを支える次の世代が確実に育っていきます。日本の地方都市松山に帰ってきて,そう想い始めています。