松山駅から予讃線で南下すると,車窓からみえる山々の緑が目に優しく感じられてくる。四国山地の裾だろうか,外国からの客人によると「まるでヨーロッパの風景のようだ」という。この山間の町のひとつに宇和町がある。

宇和町の楽しみは,やはり中町の町並みを散策することだろう。ご存知のように,ここには江戸末期の民家と商家が残り,司馬遼太郎氏の『街道をゆく十四 南伊予・西土佐の道』でも紹介されたところである。蘭学者で当時逃亡中の高野長英の隠れ家もあって,幕末の歴史に触れることができる。夏の暑い盛りに中町を訪れたことがあるが,古い商家にあったラムネとかき氷の味が忘れられない。

中町の町並みから少し坂を登ると,開明学校がある。こちらは明治初期の洋風建築の小学校である。この洋風でモダンな建物は,この地域がいかに教育熱心であったかを今に伝えている。この教育熱には切実な理由があった。当時,薩長土肥の藩閥政治がおこなわれる中で,愛媛から中央で立身出世するには勉強するしかなかったのである。愛媛は,地理的にも薩長土肥の長州(山口)と土佐(高知)に挟まれており,当時の人々の気持ちが偲ばれる。こうして,教育熱は愛媛に根付き,現在も息づいている。

宇和町には,数年前に愛媛県歴史文化博物館がオープンしている。ここは,その名の通り愛媛県の歴史を旧石器時代から現代まで展示している。印象に残ったのは,昭和初期の大街道の町並みを復元したところである。同様の展示物をアメリカでも見たことがあるが,これは来館者のノスタルジーを呼び起こすようだ。

余談になるが,博物館から中町に移動する際に,うどん屋に立ち寄った。ここの社長さんは昔からの縁でプロレスの興行をされており,その話を社長室で伺うことになった。私が外国からの客人を連れていたせいだが,数々の記念品や写真まで見せていただいた。客人も大変喜ばれ,まるで「旅は道連れ,世は情け」を地で行った格好であった。