小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの名文の話を続けます。

ハーンは四十にして初めて日本に来ますが,このとき次のような助言を受けています。

「ぜひとも早い機会に,第一印象を書き留めておいたらいい」

「何しろ,最初の印象なぞ,たちまち消えてしまう。しかも一度消えたら最後,二度と戻ってきはしない。今後この国で色んな経験をすることになるだろうが,この初めての印象ほど魅力に富んだものはない」

この日本にたいする最初の印象が,地方都市松江を中心とした風物詩『知られぬ日本の面影』となったのです。ハーンの民俗学的な関心が伏線になっており,明治の風物と風習を今に伝えています。

来日当初,ハーンは島根県松江中学の英語教師になったのですが,ここで士族の娘セツと結婚しています。日本語の読めないハーンにとって,妻セツの語る民話が「英語で書かれた日本文学」を産む助けとなったのです。

ハーンは神道の息づいた松江と土地の人々や生徒をこよなく愛しました。しかし,山陰の冬の寒さを避け,妻の家族を養うために高給を必要として,一年で熊本の五高へ移っています。

ところが,神々の国の首都松江と違い,西南戦争の爪あとの残る焦土の街,熊本はハーンの気に入らなかったようです。既に大人の年齢に達した生徒たちも,教師に対して生意気な対抗心を持ったようです。松江の中学生の純粋さに慣れたハーンは,意外に思ったのでしょう。また,九州男児の気質というか,教師に馴れ馴れしくしないところも物足りなかったようです。

こうして,ハーンは熊本で初めて日本への失望感を味わうことになります。西洋を脱出して極東の日本までやってきたハーンが,その日本に失望し始めたのです。すでに日本女性と結婚して,熊本時代の半ばに長男一雄が誕生しています。こうした状況の中で,近代化していく日本を嫌ったのです。ここに独自の境地を拓くまでのハーンの苦悩があったのです。