小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは,熊本時代から次第に近代化していく日本を目の当たりにし,近代日本に幻滅していきます。

日本に失望したハーンが求めたのは,一度脱出したはずの西洋社会でした。しかし,日本女性と結婚して子どもまでいるハーンは,日本を去り西洋に帰ることは出来ませんでした。もし妻子を捨てれば,それは自分が憎んだ父と同じ道を歩くことになるからです。

ハーンが選んだのは,神戸の英字新聞『神戸クロニクル』社の記者になることでした。これは,外国人居留地という中途半端な西洋社会への回帰で,妻子を守るための妥協の産物ともいえます。ハーンは家族を大事にし,神戸時代には妻子に年老いた自分の遺産が確実に渡るように,日本に帰化しています。小泉八雲の誕生です。

居留地では,近代日本に幻滅したとはいえ,日本文化を受容したハーンは浮き上がってしまいます。結局,西洋の価値観に馴染まない自分を再認識することになります。もはやハーンは西洋や東洋日本という地域性ではなく,普遍的な価値観を追い求めるようになります。こうして,ハーン晩年の文学は抽象度の高いものになったのです。

ハーンは近代都市が嫌いでしたが,請われて東京帝大にいきます。学歴はないものの,すでに文学者として名声を得ていたことが幸いしたのです。

東大での英文学の名講義は語り継がれ,ハーンの没後次々に出版されています。熊本の五高と東大でハーンの後任者となったのは,明治の文豪夏目漱石でした。とくに,東大でハーンの代わりに講義をするようになった漱石は,偉大な前任者ハーンの影に悩まされています。学生の留任運動まであり,ハーンがいかに学生に慕われていたが偲ばれます。

晩年のハーンは文筆活動に没頭し,『怪談』という傑作を産み出します。東大を去り早稲田で講義をしますが,ほとんど書斎に籠もりきりでした。毎年,夏に焼津の海にいくのが楽しみだったようです。最後は,妻セツに看取られて静かにこの世を去っています。