司馬遼太郎氏の名著『坂の上の雲』で知られる秋山兄弟は,ご存知のように松山出身の当代屈指の軍人でした。秋山兄弟については皆さんもご存知でしょうが,知れば知るほど魅力的なのでここで改めてご紹介いたします。

兄の好古は日露戦争のときに満州で当時世界最強といわれたコサック騎兵を破ったことで有名です。なお,ウクライナのコサック騎馬民族については,ロシアの文豪ゴーゴリの『隊長ブーリバ』を読むとよくわかります

好古はそもそも歩行町の下級武士の家に生まれた苦労人でした。学費が要らずに給料が貰えるということで,大阪の代用教員から師範学校を出ています。明治初期に薩長土肥の藩閥政治がおこなわれる中で,愛媛から立身出世する方法一つが教育者になることだったのです。その後,志を変え,やはり学費の要らない東京の陸軍士官学校,陸軍大学校を経てエリート軍人の仲間入りをしています。陸海軍も非藩閥人が活躍できる世界だったのです。

二十代後半から好古は旧松山藩主のフランス陸軍士官学校入学に際してお供し,五年間も留学している。ただし,これは日本陸軍がドイツ式に転換している時期であったために,出世コースから外れることを意味し好古には重荷となったようです

ところが,フランス騎兵が優れていたこともあって,帰国して出世していきます。日清戦争のときには騎兵第一大隊長を務め,騎兵の父と呼ばれるようになります

日露戦争の陸軍最初の決戦場である遼陽会戦においても,騎兵に加えて歩兵,砲兵,工兵をも指揮しています。この会戦の勝利がロンドンにおける日本外債による順調な戦費調達につながり,資金の乏しい日本を支えたのです。

また,「男子は生涯一事をなせば足る」や「勝ち戦に驕り功名を追えば,敗れる」といった含蓄のある言葉を今に残しています。後に陸軍大将にまで登りつめ,大将経験者としては異例ですが現松山北高の校長として郷里のために尽くしています。